日本のテレビドラマはとうとう「毒親」との決着を、和解や妥協以外で描くのか。ドラマ『凪のお暇』8話から、メディアの描く親子関係を考える。 ネタバレあり注意!

こんばんは、うめこです。

「8話からドラマ感想?」と首を捻られそうですが、うめこも元々『凪のお暇』の感想は別に記事にするつもりはなかったのですよ。視聴しだしたのは6話からだし、あとは漫画で補正という・・・

ただ、元々は「恋愛と自己肯定を丁寧に描いた作品だなー」と気楽に楽しんでいたところに、最新の8話でラスボスがあまりに鮮烈に登場したので俄然目が離せなくなりまして・・・

そのラスボスの名前は毒親

最後に向かい合い対決すべき相手は恋愛でも男性でもなく、母親だったのです。

うめこは常々「日本のドラマは、最終的に親子の絆は尊い、美しい!最後にはきっときっと分かり合える!諦めないで!系の結末にするよなあ」と不満が感じていました。ちょっと調べてみたのですが、この現象に対して問題指摘をされている人はすでにいらっしゃって、「毒親ポルノ」という言葉が存在しているそうです。

「親子の絆は神性であり、結末は美しいものであるはず」と思い込み、本当は人の数だけ存在する親子関係のあり方に、たったひとつのこの思想を強要することは一つの暴力ですらあるのかもしれない、とうめこは思っています。

以前感想を書きましたドラマ『トクサツガガガ』も主人公の価値観を悉く否定する毒のある母親との確執と対決を描いていましたね。しかし、一度は主人公の爆発があったものの、最後は歩み寄りを思わせるラストとなっています。

そして、『凪のお暇』でも強烈な「毒になる親」登場です。もしかして、ドラマ『凪のお暇』は今までになかった母親との決着を描くのか?と非常に気になりだしたのです。

ちなみに、「毒親」という言葉はアメリカのカウンセラーであるスーザン・フォワード著『毒になる親』から誕生しています。これも名著。刺激的なタイトルですが、これは親子関係にとどまらず「自分を侵略・コントロールしてくる者に対して、どう対決し、自分でどう自分の尊厳を守るか」というテーマについて書かれた本です。おすすめ!

 
毒になる親

ドラマ「凪のお暇」かんたんあらすじ

 
凪のお暇 1 (A.L.C. DX)

内にある家電メーカーで働くサラサラストレートヘアが特徴的な28歳の 大島凪 (黒木華) は、日々何事もなく平穏に過ごすために常に場の空気を読み 「わかる!」 と周りに同調することで自分の平和を保っていた。しかし、いつもニコニコ、ビクビク、人の顔色を伺う凪の様子に同僚からは、いじり、“良い意味で” のダメ出し、そして理不尽な仕事をふられ放題の毎日。そんな 「なんだかなぁ〜」 な生活を送っていたある日、付き合っていた彼氏・我聞慎二 (高橋一生) からの一言がきっかけで心が折れてしまう。それをきっかけに 「わたしの人生、これでいいのだろうか…」 と見つめ直した結果、凪は人生のリセットを決意する。

TBS ドラマ「凪のお暇」公式ホームページ あらすじより引用

大筋としては最初は人の顔色ばかりを窺って自分を失いかけていたヒロインが0から「自分を肯定していく」ことを学んでいくというドラマです。高橋一生の演じるモラハラ元カレが、最初は主人公を追い詰める最低最悪の登場の仕方をしておいて、だんだんとその行動が深い愛情の裏返しであったことが判明していく・・・という構図が非常に受けているようです。

ヒロインの「自分を出さずに人の顔色をうかがう」性格はどこから来たのか?という疑問に提示されたのが「母親」の存在でした。

これもきついタイトルですが、うめこが心理学に興味を持つようになったきっかけである書籍『子どもをダメにした親たち』(深沢道子著 社会思想社)の一文を引用いたしますと、

結局、親がかかえているいろいろな問題や葛藤が、子供の精神的成長の上に、不適応や病気などをもたらすのである。親が自分では全く気付かずにしていることが、子供にとっては心の傷を残す結果になることも少なくない。

「子どもをダメにした親たち」深沢道子 現代教養文庫 社会思想社 付記 257頁より引用

実際、ドラマの中でもちょいちょい母親との関係性がうかがえるげんなりするようなエピソードが登場してきます。

そして、とうとう8話で対面する二人!これがもう!「ウォーキング・デッド」真っ青のホラーでしたよ!

見ていない方のためにざっくり説明いたしますと、ドラマ『凪のお暇』8話では東京で一人暮らししている主人公は、北海道で農業をやりつつ暮らしている母親が台風被害にあったことを知って様子を伺いに訪ねていきます。

そしてここでの親子のやり取りが「子どもをコントロールしようとする親と、親の言外の要求を読み取ろうと苦心する子ども」そのもので、見ていて本当に気持ちが悪いことこの上なし!!

人が人をコントロールしようとするとき、とってもありがちなのが

「罪悪感」を植え付けること

「劣等感」を刺激すること

もう主人公の母親はそれを見事に抑えてくるんですよね。主人公の見た目(癖っ毛)を「見っともない頭で人前に出るな」と常々貶し、主人公が苦手なとうもろこし食べるのを躊躇うと、目の前でゴミ箱に捨てて「あんたが食べないからとうもろこしは死んじゃった。可哀そうね」という小さいころのエピソードも、一見良くある躾の場面のように見えて厭らしさ満点・・・結局、捨てたのはお前だろ!

実家に着いた主人公を笑顔で迎える母親ですが、「ここが壊れた」と家の被害を主人公に見せつけるシーンが本当に嫌!ぜんっぜん大したことない破損を見て「大したことなくてよかった」と言う主人公に対して、表情で不満を伝えていきます。そこで雰囲気を読み取って「本当に大変だったね。怪我がなくてよかった」と必死に言い換える主人公。

さらには「知り合いがリフォームの見積もりを取ってくれたの。娘さんは東京で立派にやってるなら、いっそ建て替えたらって言うのよ。いえいえ、娘にそんな迷惑はかけられないって言ったの。必要最小限でいいですからって」とあくまで他の人がそう言った、自分は別に求めていないという体でじわじわと家のリフォーム代を要求してく母親。

いやああああああぁあぁ!気持ち悪い!!

実家リフォームの見積書をチラ見せしてきたシーンなんて、ゾンビが人を食べてるシーンよりも鳥肌がたちましたよ・・・本当に怖いのは人間です、いや、まじで。

ストレートにリフォーム代を寄越せ!とは言わず、あくまで「子どもが空気を読んで、自ら喜んで援助を申し出る。それを遠慮しつつ、そこまで言うならと受け入れる親。ああ、美しい親子関係」に持っていこうとしているんですよね。そのためには「知り合いがこう言った」と他者の存在をすべり込ませ、「自分の元を離れて東京で一人暮らしをする勝手を許してあげている」という本来不要な罪悪感を植え込み、笑顔を見せつける・・・・

しかし、主人公も今はアルバイトのみで、なんとかやり繰りしている生活。しかも、友達とコインランドリーを買って、経営しようと約束しているところなのです。おどおどしながらも、断ろうと頑張ります。

「いま、やりたいことがある。お金をそれに使いたい。お金に余裕ができたら用意するから、それまで待ってほしい」

と告げた主人公に対する母親の反応は・・・

「そう。わかった。お母さん、あちこちに頭を下げて、何とかお金を借りてみる」

ここで再確認したいのが、母親の打診するリフォームは全然今すぐ必要なものではないこと。台風被害は全然大したことなかったわけですし、将来的には直して置いた方がいいもの。つまり、主人公の「待ってほしい」を聞き入れても、対して不都合はないはずなんです。

そこで、母親がダメだしの言葉。「凪は何も心配してくれなくて大丈夫。母さん、頭を下げてお金を借りて、一生懸命返していくから。大丈夫よ。凪の幸せが、母さんの幸せだもの」

これを作りに作った笑顔で言うのです。

はい、もう一度。

いやあああああ、気持ち悪い!!

てか、この気持ち悪さを完璧に表現する母親役の片平なぎささんも凄すぎるんですね。クイーン・オブ・目力の称号は彼女のものですよ。

表の言葉と、その裏に潜む言葉「裏面交流」

ここで、ちょこっと心理学用語を使いつつうめこの考察を。

この親子のやり取りはエリック・バーンによる「交流分析」という心理学理論の中にある「裏面交流」にあたるのかなーと思います。

ざっくり説明すると、これは二つのメッセージが同時に発信・伝達される交流のことを言います。とある言葉のやり取りに、言語化した表のメッセージと、もうひとつそこに隠れた裏の心理的メッセージが同時に存在している状態のことを指します。

上の会話では「あなたが幸せならこれでいいの」とさも物わかりのいい子ども想いの母親としての言葉が放たれていますが、その裏には「母親に恥をかかせるとは何事か。黙ってリフォーム代を寄越しなさい」という強烈なメッセージが込められているのです。

それだってどうかとは思いますが、いっそストレートに

「母さんはびた一文払いたくないし、ご近所への体面もあるんだから、さっさと金を寄越すんじゃあ、あほんだらあ!」

と叫ばれた方がましかもしれません。・・・親から逃げる決心を固めるきっかけになるかもしれませんしね。

この「裏面交流」、きっと日常ではムチャクチャ当たり前に存在してますよね。特に、「空気を読む」「忖度」を重んじる日本では、それ自体を美徳とする恐ろしい土台がありますし。うめこも気を付けていきたいです。

また、他人にこの気持ちの悪いやり取りを吹っかけられたときには「これって裏面交流かなあ」と考察を加えることで、冷静に対応できることもあるかもしれません。

歪みの連鎖を断つためには。

さて多少脱線しますが、「毒親」について描いた作品はいっぱいあります。うめこの大好きなのはよしながふみ先生の『愛すべき娘たち』(白泉社)。これは女性の様々な生き様を切り取った短編集なのですが、その中に祖母・母親・娘の三世代を描いた話があります。ちょっと『凪のお暇』よりは毒っ気は薄目かもしれませんが・・・

 
愛すべき娘たち (Jets comics)

物語は娘である主人公の視点で進むのですが、主人公の母親は、自分の母親である祖母のことをとても嫌っています。なぜかというと、母親が少女だったころから祖母が常に自分の容姿を貶して笑い者にしてきた経緯があったから。そのせいで、母親はずっと「自分は醜い」という思いを抱えて生きてきたのです。「母親が死んでも泣かないだろう」とすら言い切ります。

しかし、逆に主人公はそんな母親から「あなたはかわいい。お母さんのお姫様」と温かい言葉をかけられ続けて育ちました。そのエピソードが本当にほんわかする描かれ方をしています。

主人公がそのことを母親に告げると、

お母さんは娘時代おばあちゃんから始終あんたは不細工だ 不細工だと言われて育ったから

~省略~

だから将来私に子供が生まれたらその子の容姿について無神経なことを言ってその子を傷付けたりは絶対しないって誓ったわ

『愛すべき娘たち』よしながふみ 白泉社  190頁~191頁より引用

お母さん、かっこいいです。

子どもが親から受け継ぐ影響というのは実に膨大で、深いものです。

うめこは心理学について勉強すれば勉強するほど「人間に歪みが生じるとき、それは親子関係からはじまっていることが多い」ことを感じるのですが、この母親は祖母から「自分を好きになれない」という歪みを与えられたものの、それを娘には渡さず、断ち切ったんですよね。

あとは漫画を是非読んでもらいたいのですが、祖母が母親を貶し続けてきたことにも、祖母なりの理由と信念がありました。それを目の当たりにした主人公が出した答えは、

母というものは

要するに 一人の不完全な女の事なんだ

『愛すべき娘たち』よしながふみ 白泉社 199頁より引用

ここに全部が凝縮されていますよね。

これはあくまでうめこの個人的な考え方ですが、うめこは前述したように「家族の絆は神性である」とか、「母性は絶対的なものであり、神性なものである」という思想が本当に苦手です。

人が素敵な思いやりのある家族を見たときに唱えられる思想なのだと思いますが、それはその家族が努力してお互いへの気遣いを積み重ねているからこその素敵な家庭なのであり、最初から「家族にははじめから美しい絆が備わっていて当たり前」であると思うことはかえって努力している人たちに対して失礼なのではないかと思うんです。

また、「母性は絶対的に神性である」と唱えることは、逆に母親たちを追い詰めることにならないかと心配になることもあります。「温かいお母さん」であるということは決して当たり前のことではなくて、『愛すべき娘たち』の母親のように自分を律して努力と思いやりを重ねているからこそ、その人が温かいお母さんであるのではないか、と思います。うめこは自分の両親が好きですが、それは親だから無条件に好きなのではなくて、尊敬できるところがあって、一緒に楽しい時間を過ごせて、かつ自分を一人の人間として尊重してくれていることを感じるから好きなのだと思っています。

逆に言えば『凪のお暇』の母親のように子どもを一人の尊重すべき人間と認めず、ひたすら自分のコントロール下におさめようとする親など嫌ってもいいし、断絶したっていいのだと考えています。

さて、『凪のお暇』においてはどんな母親との決着が描かれるのか。ぶっちゃけ、うめこ慎二もゴンさんも好きではないので恋愛はどう転がってもいいのですが、この「毒親との対決」を期待を込めて見守りたいと思います。・・・まあ、恋愛要素に流されて有耶無耶になる可能性も秘めていると思いますが・・・果たしてどうなるのでしょうか。

ではでは。

  

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