好きの反対は嫌いじゃない?嫌うよりもまず「無関心」を意識してみよう

こんばんは、うめこです。

悟りを開いた聖人レベルでないかぎり、どうしたって「これ嫌い」「あの人やだ」とか、負の感情って沸いて出てきてしまいますよね。うめこは未熟者もいいところなので、ほんっとうに自分自身の感情に振り回されることが多いです。

特に苦手な人が身近でいると、なんだかその人の挙動ばかり気にしてたり…その人に言われたりされたりした嫌なことを何度もリピートしていたり…

ある日、本当に嫌なことがあって家に帰っても怒りが収まらなかったとき、ふと思ったんです。
「あれ、確かに嫌いなはずなにのに、なんで私は家でもアイツのことを考えてるの?」って。

一つだけ忠告しますと、「これって恋なの?」なんて展開にはなりません!

ただ、「不愉快な人のことを考えるために、かなりのエネルギーを消費してないか?」と悔しく思ったんです。「なら、むしろ、別のことにこのエネルギーを使った方が建設的なんじゃね?」とも。「あんな人のことを考えるより、もっと素敵な人のことを考えてる方がよっっぽといいじゃん!」と。

少々脱線しますが、昔友達から「空飛ぶスパゲッティーモンスター教」という不思議な宗教?があると教えてもらったことがあります。それは既存の宗教やそれに迎合した政策案に対して反発した人々が、宗教を否定するために作り上げた宗教なんだと。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/空飛ぶスパゲッティ・モンスター教

当時、この概念を聴いたときには「宗教を否定するために宗教を作ってしまうなんて、嫌いなわりには、その否定のために物凄い熱量を注いでいるんだなあ。なんか変なの」と、とても印象に残ったのでした。

ただし、現在のうめこは「社会的」「学術的」な活動の原動力としての「否定」や「対抗」は、時にとても建設的な結果へと繋がることもある考えています。「否定することに」エネルギーを注ぐことが不毛なことになりがちなのは、あくまで個人への恨み辛みに向けたものであるという趣旨で、今回の記事は進めて行きたいと思います。

かの有名なマザー・テレサの言葉でこんなものがあります。
「好意の反対は無関心である」と。前置きが長くなりましたが、それが今回のメインテーマでございます。

単純接触効果の逆効果

効果多くね?

という突っ込みが出てきそうですが、こちらはポーランド出身のロバート・ザイアンスという心理学者の提唱した「単純接触効果」という心理現象からきています。これは、人間は何度も同一のものに接触すると、だんだんと良い印象が強くなってくるというものです。例えば繰り返し商品紹介を行うTVCMや広告も、この効果を狙ったものと言えますね。また、恋愛関連でもよーく唱えられる言葉ですね。気になる人との接触回数はなるべく増やしましょうってやつです。

が、この「単純接触効果」が逆効果になってしまうことがあるんです。

それは「相手に強いマイナスの印象を持っていたとき」

その時に限っては、単純接触が増えると「マイナス」の印象が増幅されていくらしいです。

身近なことで想像しても、ありえそうなことですよね。

「この人はなんか嫌だな」と自分の気持ちがある程度固まってしまうと、今度はその人の一挙一動を「この人は嫌い」という気持ちを肯定するために見守ることになってしまうのです・・・うめこは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とは本当に的を得たことわざだと思います。一度その人を「嫌いボックス」に入れてしまうと、その人の言動を全て「嫌い」という感情に結び付けようとしてしまうんです。それこそ、袈裟=本来は憎むべき対象でもない言動まで。そこまで行くと、相手にはもちろん、自分の気持ちのためにも良くない!ですよね。

うめこは世の中のパワハラの多くは、この「行き過ぎた存在否定」から生まれているのではないかと思っています。

「思い出す」ことで嫌な気持ちが強化されてしまう!

続きまして、脳科学方面より。人が頭の中である出来事を反芻すると、脳がその出来事を再体験していることとなり、結果として強く脳に刻まれることになってしまうそうです。

とくに怒りという感情は、思考のループを引き起こす代表的な要因です。どうにも怒りがおさまらず、寝返りを打ちながら腹立たしいできごとを脳内でリピートした経験は誰にでもあるでしょう。思い出すたびに怒りは増幅し、いっそう頭から離れなくなっていきます 。

東洋経済ONLINE 「折れない人が実践する「嫌な妄想」を絶つ方法」 ガイ・ウィンチ より引用

うめこさん、思い当たることばかりです。家に帰っても嫌いな人のことを思い出してはイライラする日々を過ごしているうちに、ふと、冒頭の「このエネルギー、もったいなくね?」という考えに行きついたのでした。

家でその人のことを思い出すということは、知らないうちにその人のことをより深く脳に刻みつけていたということなんですよね・・・。そう考えると、その「嫌い」→「思い出す」→「さらに嫌い!」の超無駄無駄無駄ループをどうにか止めるのが一番自分のためになると思いませんか?

思考パターンは訓練して変えられる

もしあなたが嫌いな人や嫌な物事のことをどうしても考えざるを得ない、意識することから逃げられないのなら、そこには「嫌い」よりも複雑な何か別の感情や目的が隠れているのかもしれません。うめこの経験だと、「嫉妬」が多かったような気がします。そしてさらにその裏には「劣等感」が隠れていることがありました。

「好きでない」のなら、本来はどうでもいい=無関心であるはずなんですよね。

まずは嫌いな人のことで頭がいっぱいになってしまったら、繰り返し思い出すのを止めてみましょう。

「それが出来るならやってるよー!」というご意見が出てきそうですね。確かに、ただ止めようとすると逆に意識し過ぎてしまうことになりますので、大切なのは別のことに思考を切り替える訓練をしていくことです。

最初はなかなか難しいかもしれないですが、筋肉と同じく、思考パターンは訓練によって確実に変えられるものです。

一節にマザー・テレサのものとされる有名な言葉がありますが(ただ、引用先が不明なため違う可能性が高いそうです)、これが人の思考⇒行動⇒習慣の流れをとてもわかりやすく表現しています。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

うめこのメチャクチャ恥ずかしい体験談を上げさせていただきますと、うめこは朝の通勤で非常にイライラすることが多かったんですよね。それも、満員電車で体を押されたとか、本当に小さなことで気持ちが上下するものですから、朝から中々のエネルギーを使っておりました。それを変えたいと思った時、まずは「頭の中で汚い言葉を使う」ことを禁止にするところから始めてみました。具体的には・・・「死ね」という言葉を禁止しました。つまり、ずーーっとこの汚い言葉を頭の中で使っていたんですよね。本当に大人として恥ずかしい・・・!!

しかし、これをコツコツやっているうちに、本当に気持ちの上下がおさまるようになってきました。他人に対して使っているつもりの罵倒が、実は自分の気持ちを掻き混ぜて、思考に悪い影響を与えていたのだなと感じた出来事でした。

あまりに思考パターンが強固に固められている時、それは心理学用語で「認知の歪み」と呼ばれます。いつか、この「認知の歪み」についてもじっくり解説できたらなと思っています。

本当に不愉快な人や物事からは「逃げる⇒無関心」でいるのが一番

「逃げるは恥だが役に立つ」

人気ドラマのタイトルにして、ハンガリーのことわざでございます。うめこはこのことわざから「恥だが」を取ってしまもっていいぐらいだと思っています。逃げることは状況によっては誇ってもいいぐらいの大人の判断であると思うのです。

例えば、台風に真正面から立ち向かって評価される人なんかいませんよね。台風への対策としては、速やかに避難することがだけが求められるでしょう。どんなに自分の行動を振り返ったり、こちらが出来る対策を講じても、理解できない人、相容れない人、こちらを攻撃してくる人のことをうめこは台風であると思うようにしています。

逃げるが勝ち、台風には立ち向かわなくていいんです。もちろん、こちらから戦いを仕掛ける必要も全くない。

大切なことなのでもう一度。台風には立ち向かわなくていいんです。

台風のことは嫌うことすら、しなくてもいいんです。頑張って思考パターンのトレーニングをして無関心でいられるようになったら、それが一番楽なんだと思います。それよりもモフモフの可愛い動物のこととか、イケメンのことでも考えてニヤニヤしていましょうよ。

ではでは、今回はこんなところで。

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