オリバー・サックス『妻を帽子と間違えた男』(晶文社)紹介と感想 ~病気について語ること、それは人間について語ること~

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こんばんは、うめこです。
今回はうめこの尊敬する脳神経学者オリバー・サックス氏の著書についてご紹介したいと思います。

うめこには何人か「この人のおかげで世界が広がった」という心の師匠がいまして、オリバー・サックス氏もその一人です。彼のおかげで「脳神経学」という分野があり、様々な脳と神経に関する疾患があることを知りました。もう、彼の患者と治療を扱った実例は「事実は小説より奇なり」だらけ。

それを単に面白おかしく描写するのがメインではなく、あくまで脳神経学者として真摯に患者と接し、どのような脳神経のメカニズムで症状が起こるのか、その時、当事者はどう感じているのかをサックス教授は克明に、しかし暖かい人間としての視点も忘れることなく描いていきます。

略歴
1933年ロンドン生まれの脳神経学者。主にアメリカの病院で偏頭痛、知能障がい、脳炎後遺症などの治療や研究に携わり、多くの著書を残しました。2015年没。

一番有名な著書は『レナードの朝』(早川書房)でしょうか。これはロバート・デニーロ主演で映画化されています。

少し話はずれますが、最近『顔面にも負けず』(文響社 水野敬也著)という本を読みました。これがものすごくいい本でしたのでいつか単独で紹介したいと思っているのですが、そこで初めて「トリーチャーコリンズ症候群」という名の病気を知りました。頬骨と顎の骨が未発達のまま成長するので特徴的な風貌となる、遺伝子変異・異常の病気だそうです。

うめこは病気や障がいの知識は出来るだけ持っていた方がいいと常々思っています。「エレファントマン」「リサ・H」知られるレックリングハウゼン症候群(神経繊維腫症)について知ったときに感じたのですが、知識があるとないとでは、その人への接し方や偏見に相当な差が出るのではないかと思ったからです。

世の中、容貌や行動に影響のある疾患や病気は多々あります。そういう方々と出会う機会があったとき、知識がないと「なんだか違う人。怖い人。変な人。うつるかもしれない」という無知からくるマイナスの印象で終ってしまう可能性がありますが、ある程度の知識があれば「遺伝子変異によるレックリングハウゼン症候群の方。トリーチャーコリンズ症候群の方」と判別し、「なんだか怖い」という恐怖やモヤモヤがないので、その先にあるその人の人間性をより早く見ることができると思うのです。

『妻を帽子とまちがえた男』で紹介される人々は容姿に反映される症状はないものの、やはり予備知識なしに出会ったら驚いてしまうことがあるでしょう。例えば、トゥレット症候群の男性。このトゥレット症候群とは、体が意志とは別にチック的な動きを繰り返してしまう特徴があります。時に衝動にまかせて「くそ!」などの暴言を無意識に吐いてしまうこともある症状なので、誤解を生みやすい病気であるようです。この症候群の場合も、この暴言や痙攣が病気由来のものであるかを知っているか知らないかで、その人への印象が180度変わってくるのではないでしょうか。

妻を帽子と間違えるってどういうこと?~脳と世界をつなぐもの~

病気について語ること、それは人間について語ることだ

妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする男。日々の青春のただなかに生きる90歳のおばあさん。記憶が25年まえにぴたりと止まった船乗り。頭がオルゴールになった女性・・・

脳神経に障害をもち、不思議な症状があらわれる患者たち。正常な機能をこわされても、かれらは人間としてのアイデンティティをとりもどそうと生きている。心の質は少しも損なわれることがない。

24人の患者たち一人一人の豊かな世界に深くふみこみ、世界の読書界に大きな衝撃をあたえた優れたメディカル・エッセイ。

『妻を帽子とまちがえた男』オリバー・サックス著 高見幸郎 金沢泰子訳 発行:晶文社
カバー紹介文より

 
妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

この記事では24人全員のあらすじと感想を述べていくことはしませんので、題名になっている「妻を帽子と間違える」男性の話をご紹介します。

彼=P氏は「人と物の認識」がうまくできなくなったと言って、サックス氏の元を訪れた患者でした。P氏はすぐれた声楽家であり、今は地方の音楽学校で先生をしているのですが、ここ数年生徒が目の前に現れても認識できず、声を聞くまでは誰かがここにいるのかすらわからない逆に街中の消火栓を子どもと間違う、などの奇妙な症状に悩んでいました。はじめは目がおかしくなったのかと思って眼科を受診したところ、眼の異常ではないので脳神経の専門医に診てもらうようにと指摘されます。

サックス氏はP氏に会い、彼にはなんの精神異常もなく、それどころかたいへん教養のある魅了的な人物であると感じました。しかし、やはりP氏の物と人の認識がどうにもおかしいことに気が付きます。まず、靴と自分の足の違いがわからず、さらに題名の通りに妻と帽子の区別がわかりません。逆に、立方体などの数学的な形であればきちんと認識するのです。

しかし、彼は視覚と脳がうまく結びつかないだけであって、精神や知能はきわめて正常なのです。サックス氏がバラを差し出すと、最初は何かわからずに苦戦していたP氏が匂いをかいだ途端「なんときれいな!早咲きのバラだ」と感動を露わにします。その時のことを、サックス氏は「実体の認識は、視覚ではなく嗅覚によっておこなわれているかのようだった」と分析します。

このシーンはうめこにとって感動的でした。どう優しくみても、P氏とサックス氏のやり取りは非常に奇妙です。靴と自分の足の区別つかないところなど、あまり好きな表現ではありませんが、P氏は「異常者」であると誰もが思うでしょう。しかし、あくまでP氏に異常が起こっているのは「脳神経」なのであり、その精神や情緒はいたって変わらず豊かであるということが示されるのです。

そしてP氏の日常は音楽によって繋ぎ止められていました。食べるときも、着るときも、入浴も歌いながら。そうしていればある程度の生活を過ごしていられますが、逆に突発的な物音で歌が途切れると、凍りついたように動かなくなってしまうのです。

このP氏の症状は視覚的失認症というそうです。

さて、ずばり言ってしまうと、サックス氏の患者は「治癒」したり「回復」することはほとんどありません。有名な『レナードの朝』は投薬による劇的な回復を描いたノンフィクションの物語ではありましたが、それと同時に容赦ない「喪失」と人間が脳という聖域に与えることのできる影響の限界を提示したレポートでもありました。

このP氏も症状が治まることはありませんでしたが、P氏は生涯生徒に音楽を教え続け、彼と世界を繋ぎ止める手段を失うことはありませんでした。ある意味「回復」よりも見事な生き方なのではないか、とうめこは思います。

サックス氏の綴るのは「回復」の代わりに「病気と共に健やかな精神で生きていくことを目指していく」、もしくは「病気そのものをアイデンティティとして生きていく」人たちの物語なのだと思っています。だからこそ、力強さを感じるのではないかと。

そういった24人の様々な物語を読み終えたとき、きっと、ちょびっとでも世界が広がっているような気になりますよ。

「分厚い本はきついー」という方は、映画『レナードの朝』からサックス氏の世界に触れるのもいいかもしません。やや、物語寄りになってはいますが。

ではでは。

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