イギリスの教育が凄すぎて、圧倒される。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ 新潮社)の感想&紹介

こんばんは、先ほど作ったハンバーグにつなぎの卵を入れ忘れ、取り合えず煮込んでいるものの出来上がりが怖くて「目玉焼きを上に乗せればチャラにならないだろうか」と考えているうめこです。

さて、かなりテレビや雑誌なので取り上げられていた書籍なのでご存じ方も多いかと思いますが・・・今回ご紹介する書籍の内容をざっと説明します。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ著 (新潮社)

 
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディ みかこ ]

著者はイギリス在住のブレイディみかこ氏。保育士として現地で働いた経験があり、教育の現場から見えてくる様々な人種間・階級間での摩擦を率直に記した著者がいくつかあります。

ブレイディさんはイギリスの方と結婚されていまして、この本はイギリス人の父と日本人の母を持つ息子さんが自身の人種、そして周りの友達の人種、階級、学校での教育と真っすぐに向き合い成長していく様子を綴ってくエッセイです。

この息子さん、本当にしっかりとした、きちんと自分で考えることのできる本当に本当に素晴らしい子なのですよ。母親のブレイディみかこさんからの視点ではあるので多少の親フィルターがあるのかもしれませんが、読んだ印象ではそういうありがちな感情やバイアスはそぎ落とされ、事実を淡々と書かれているように感じました。ブレイディさんがプロのライターとしての冷静な視線で見た息子像なのかな、とうめこは思いました。

メチャクチャ脱線しますが、流行の波に乗りまくってうめこさん、『鬼滅きめつの刃』(吾峠 呼世晴・集英社)に大ハマり中なのですが、この漫画の主人公・炭治郎たんじろうがあまりいい子で「息子にしたい主人公」ダントツ1位なんですよね!!

 
鬼滅の刃 20 (ジャンプコミックス) [ 吾峠 呼世晴 ]

もやは「かっこいい」でも「いい奴」でもなく、「いい子」

何の違いなんですかねー。ルフィも桜木花道も好きですが、息子にしたいとは思ったことがないんですよねー。

てか、単に読んだ時の年齢なんでしょうか・・・・?それはそれでショックです。

はい、脱線してしまいました。

まあつまり、この本でのブレイディさんの息子さんがとっても視野の広い、思いやりのある少年でして、「もしも子どもを育てることがあるなら、こんな子になってほしい!!」と、独り身OLが深夜叫んでしまいそうな子なのですよ。

ただ、ここまで軽い調子で紹介してしまいましたが、ブレイディさん親子が直面するのは人種・階級・差別・格差が日常的に入り混じるイギリス社会そのもの。本当にひとつひとつ考えさせられるエピソードばかりです。

ここまで教えるのか、イギリス! 

うめこが仰天したのは、こちらのエピソード。11歳の息子さんが夏休み前に学校で習ったことをお母さんに報告してきたのですが、

「今日はFGMについて習った。」

「え?FGMって・・・・・・」

「Female Genital Mutilation(女性器切除)。アフリカとかでやるんだって」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、ブレイディみかこ著)135頁より引用

この衝撃的な単語、ご存じでしょうか。

うめこはたしか高校生の時に『砂漠の女 ディリー』というノンフィクションで知り、「そんなことが現実に起こっていていいのだろうか」と非常にショックを受けたのですが、これを小学生が学校で習うとは!

 
文庫 砂漠の女ディリー (草思社文庫)

FGMはアフリカや中東、アジアの一部の国で行われている慣習であり、女性器の一部を切除、または切開する行為で、「女性割礼」とも呼ばれている。特定の共同体内での文化的、宗教的、社会的理由で、女子のためになる(結婚準備、処女性の保護)と信じられているので、幼児期から15歳までの少女たちに施術されるケースが多く、出血や感染症のために死に至ることもある。

   ~一部省略~

「健康上、すごい大変なリスクになるし、人権の侵害だから、FGMを受けさせられた人や、受けさせられそうな人を知っていたら先生に報告しなきゃいけないって言われた」

「うん。母ちゃんも。保育士の資格を取ったときに、そのことを教わったよ」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、ブレイディみかこ著)136頁~137頁より引用

うめこは日本の教育の「臭いものには蓋をしようね♬見ないでおこうね」という側面が本当に嫌いなのですが特に「性」と「経済」の教育が足りない!!と常々憤りを感じておりました。

どっちも、一歩間違えれば人生破滅になりうるリスクがあるのに「下手に知識を与えると子供たちは興味本位に試しちゃうから・・・」という頓珍漢な不安によって教える機会が中々与えられていないんですよね。

知識もないまま、適当に安易に試しちゃうよりは数倍いいでしょうが!とうめこは言いたいのです。

イギリスでは日本よりは身近に当事者に遭遇する確率が高い環境にいるとはいえ、性教育どころかFGMまで授業で教えてしまうとは・・・本当に、一歩先の教育であるように思います。

イギリスでの偏見、日本での偏見

aalmeidahによるPixabayからの画像

題名にある通り、日本人のブレイディさんとイギリス人のお父さんから生まれた息子さんは「イエローであり、ホワイトである」。なのでどちらにも属している反面、どちら側からも偏見の対象となる時があります。

こちらはブレイディさん自身が、息子さんの同級生の母親と会話したときのエピソードですが、

「あなたは?何人子どもいるの?」

「うちはひとりだけです」

「ああそうか、あなたの国では、ひとりしか産めないんだよね」

え、と思ってわたしは彼女の顔を見た。発言はあけすけだが、表情は同情しているように見えた。

「あ、いや、わたし、中国出身じゃありません。日本人です」

「日本は何人子ども産んでもいいの?」

「はい。中国も一人っ子政策はもうやめていると思います」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、ブレイディみかこ著)143頁より引用

こちらは偏見と言えども、知識不足からのちぐはぐさであるかもしれません。そして、ブレイディさんを中国出身と勘違いしたこの母親は、自身はアフリカ出身ゆえに「子どもを夏休みにアフリカに連れて帰り、FGM(女性器切除)をさせるのではないか」という周りの偏見に悩まされているようでした。

そんなやり取りを経て、ブレイディさんはこう締めています。

マルチカルチュラルな社会で生きることは、ときとしてクラゲがぷかぷか浮いている海を泳ぐことに似ている。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、ブレイディみかこ著)145頁より引用

そしてうめこがこの本で一番腹が立ったのが、なんと日本でのエピソードでした。

ブレイディさんが息子さんを連れて実家に帰省したときのこと。帰る度に立ち寄っていた日本料理店で、スーツ姿のサラリーマン風の男性に絡まれてしまいます。

「日本語はできんとね、その子は」

と彼が聞いてきたので、わたしは答えた。

「喋れないんですよ。日本語をしっかり教えなかったわたしの怠慢なんですが。うちの子は英語オンリーです」

その酔客はいまや椅子の背に両腕をだらんとかけて、全面的に体をこちらに向けていた。

「なんで教えんとね。英語を教えて日本を教えんというのは、日本に対して失礼やろうもん」

と強い調子で彼は言った。なんで日本に行くといつも誰かに叱られているのだろうと思いながらわたしは答えた。

「失礼というより、暮らしているのが英国ですから、自然に英語を喋るようになっちゃいますよね」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、ブレイディみかこ著)158頁より引用

だんだんと調子に乗ってきた男性の矛先は、とうとう息子さんにも向かいます。

「YOU!」

驚いて息子が立ち上がると、中年男性は息子の顔を人差し指でさしながら言った。

「YOUは何しに日本へ?」

息子はきょとんとしてわたしのほうを見ている。

「ふん、どうせお前は自分が何て言われようのかわからんのやろ」

にやにやしながら男性は連呼した。

「YOUは何しに日本へ?YOUは何しに日本へ?」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、ブレイディみかこ著)160頁より引用

引用分を打っている最中もイライラしておりました。

もはや国際的にいろんな場所で生まれ、育っている方々がいる時代で「日本人だから日本語を使う」「日本人だから典型的な黒髪黒目の容姿である」とか、そういうこともとっくに当たり前と思ってはいけない、それを「当たり前と思うことこと自体が、偏見と差別の沼に片足を突っ込んでいる」と思わなくてはならないと、うめこはこのエピソードを読むたびに痛感します。

きっと、うめこの中にもいっぱいいっぱいこうした思い込みや偏見が潜んでいるのだろうと思います・・・・

それをひとつひとつ掬い上げて、ちゃんと考え直してどんどん新しいことを受け入れられる柔らかい頭でありたい、と願います。

ブレイディみかこさん著作ですと、こちらも本当に面白かったです!保育士として、その現場から見えてくる貧困や人種間の格差・分断を描くノンフィクションです。

 
子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から

皆様、今年もどうぞよろしくお願いしますね。

ではでは。

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